「怒りを伝える」という言葉を悪用した話
摂食障害で悩んでいた頃に、「本当の自分に気づく」「過去の怒りを伝える」といった治療方法をよく見かけました。
統合失調症の被害妄想や幻聴などの症状を自覚する頃には自然と関心が薄れていったのですが、昔こうした治療に心を奪われたことがあります。
その当時、私は昼も夜もなく摂食障害の患者さんのブログを延々と見て回っていました。
私はとうとう最後まで見ているだけでしたが、一種独特のコミュニティが形成されていました。
長年患っていらっしゃる患者さんや、自らの克服体験記を発表されて悩み相談を受け付けていらっしゃる元患者さんはその界隈での有名人になっていました。
(あくまで私がそう感じていたということです。)
そうした有名なブログから、最近できたばかりのブログまで、全ての記事を虱潰しに見ていったり毎時間訪問したりしていました。
「本当の自分に気づく」「過去の怒りを伝える」
摂食障害を「克服した」「治った」という趣旨のブログで、これらの言葉をよく見かけました。
また、書店で購入した&してもらった摂食障害の治療のための本にも、同じような文言はよく見かけました。
私はこの言葉、治療方法に傾倒しました。
その結果、いまだに「あの時かなりやばかったな〜」と時折思い出しては悲しくなることをしてしまいました。
なぜこのようなことになってしまったのか? それは私の解釈に問題がありました。
この治療方法がよくないのではなく、私が悪用してしまったのです。
私はこの治療方法を次のように解釈していました。
「自分が感じたことは全て母親にいうべきなんだ。酷い表現になったとしてもそのままぶつけるべきなんだ。ここで少しでも飲み込んでしまったら回復の道はない。母親がどんなに傷つこうともやるべきなんだ。母親の心情をおもいやってはならない。記憶にある限り、どんなに昔の些細なことであっても全て拾い上げ、逐一母親の責任にして責めるべきなんだ。そして最終的には謝罪してもらわなければならない。」
口に出せば私自身も傷つくような悪口を、思いつくままに母親に投げつけて、最終的には謝罪を要求していました。
私はこの言葉、治療を自分勝手な解釈で悪用し、憂さ晴らしをしていたのでした。
生活の面倒を全て見てもらい、苦労でますます痩せたほどの母親を犠牲にして一日中ゴロゴロしている時に、よくできたなと思います。
いうまでもなく、こうした憂さ晴らしで摂食障害が改善することはありませんでした。
統合失調症で悩まされるようになると、それに代わって何年も私の行動を支配していた摂食障害特有のこだわりは自然になくなっていきました。
私を追い立てていたエネルギーの塊はほどけるようになくなり、あれはなんだったのかという感じです。
摂食障害に対して試みた治療で、効果があったと実感できたものは実のところありません。
ですので、なにか治し方があるのかもわからず、これは良いとか、これは悪いとかもわかりません。
少なくとも今回書いたような、過去のことをあげつらいその人を踏みにじるような行為で、現在の精神状態が改善するということは、私の場合なかったと思います。
「本当の自分に気づく」「過去の怒りを伝える」という治療方法は、私がしたような行為を推奨するものではありません。
正しい解釈と環境のもと行えば、もしかしたらとてもよい治療になるのかもしれません。
しかし私は誤解というか悪用し、拭いされない遺恨を残す行為をしてしまいました。
当時の、なんともいえない悲しげな母親の表情はいまでも忘れられません。
苦労してごく普通に育て上げたのに、その娘にまさかこのような目にあわされるとは思わなかったでしょうね。
ふと思い出したので、記事にしてみました。
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浴室が怖いという話
どうでもいい話なのですが私は浴室が怖いです。
被害妄想や幻聴がよく現れるからです。
主治医の先生曰く、そういう患者さんは多いとのことでした。
狭い浴室ですので、シャワーを浴びていると身体の右側と背後は壁に囲まれています。
左手には、曇りガラスというのでしょうか? 浴室やお勝手口によくあるような、目隠し加工をされた不透明な扉があります。
目の前には浴槽があり、浴槽側の天井に換気扇のフィルタが見えます。
そのような狭い浴室でシャワーを浴びていると、右側の壁が「バンっ」と叩かれます。
この時点で、「あ、今日は幻聴が出るのか」と気づきます。
私は怖がりなので、この最初の段階でかなり嫌になります。
次に換気扇のフィルタから、けたたましい笑い声が聞こえてきます。段々近づいてきます。
男性の声も女性の声もします。
車が走る音もゴオゴオ聞こえてきて、何の記憶なのか謎ですがサイレンが聞こえてきます。
私は気づいていないふりをしながら、一刻もはやく浴室から出たくて髪を洗います。
全身鳥肌が立ち、目眩がして手元が震えてきます。
目を瞑るとそのすきに私の座っている椅子を誰かがガタガタ揺すって地震がきたかと錯覚させます。
ですので目を瞑ることができるのはほんの一瞬です。
左手にある不透明な扉の向こうから、大勢の人たちの話し声が聞こえてきます。
誰かが扉の近くに寄り、ザラザラした景色の中に人の形をした影が見えます。
背後に誰かおり、息を吹きかけられたり背中がぶつかったりします。
しょうもない幻聴、幻視であると自分に言い聞かせますが、鳥肌と芯からの恐怖感は消えません。
既に扉の向こうの平穏な世界と切り離されていて、私はこの浴室を生きて出られないと思うと、暗い穴にずっと落ちていくような髪の毛が逆立つような浮遊感を覚えます。
ぞっとしながらシャワーを終えて浴室から出た時には、「生還した……」という気持ちになります。
衣服を身につけていない無防備さが、不安を生じさせるのかもしれません。
また不透明な扉で隔てられていて、一定の時間以上外に出られないというところも不安なのかもしれません。
シャワーの音や反響音、また目を瞑って視覚が阻害されることで、周囲の状況を把握しづらくなるからかもしれません。
何れにしても、こうした浴室での幻聴があるとお風呂がかなり嫌になるので困ります。
ちなみに扉を少し開けておくと、幻聴は軽減されます。
ただし、誰かがこの生命線ともいえる扉を「バンっ」と閉めてくる時もありますので気をつけましょう。
その場合は幻聴に説得力を与えてしまい、閉められた瞬間さらに恐怖感が増すことになります。
石鹸を置いていても弾かれてしまいますので、ある程度長さのあるものを挟んでおくと安心だと思います。
もっと安心できる対策を知りたいです。
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発症について 振り返り
前回の続きです。
診断された時期のことだけ書くつもりが、思ったより長引いてしまいました。
発症についてというよりは、診断から少し落ち着くまでの3年くらいの期間を振り返る感じになってしまいました。
この記事ではその約3年間を改めて整理したいと思います。
統合失調症と診断される以前に遡りますと、まず前駆症状として拒食が現れ、異様な食生活と体重の低下を心配した保護者から心療内科や精神科の受診を勧められました。
異様な食生活というのは、例えば次のようなものです。
スーパーに行って2時間以上お菓子や惣菜を眺め、結局しらたきのみ購入して帰宅する。
→自宅でしらたきを執拗に炒めて、しょうゆを少し垂らしたものを主食とする。
(たまに自分の許可が下りた時には、しょうゆが数十kcalの混ぜるパスタソースに昇格する。)
一週間につき1kg、体重計に表示される数字を落とすという強い思いがあったので、こうした食生活でした。
(私は実際に痩せたかどうか、脂肪が減ったかどうかをあまり気にするタイプではなく、体重計に表示される数字が減っていれば満足でした。)
健康だった人間が突然このような食生活を送るようになれば、心療内科や精神科を勧められるのは必然でしょうね。
精神科に受診し、心理検査を受けた結果、統合失調症との診断が下されました。
発症について ①の頃です。
ちなみにこの頃、カウンセリングも多く受けました。
私にはあまり合わなかったのか、特に印象にも残っておらず、プラスになることはありませんでした。
2000円のものや、10000円を超えるようなものまで受けさせてもらい、しかも効果は得られなかったので保護者にはつくづくすまないことをしたと思います。
さて摂食障害はなかなか快方に向かわず、この拒食生活は一生は続けられないな、とふと気付くと、雪崩のように過食が始まりました。
そして衝動的に行動することが増えた時期に、被害妄想や幻聴が強く現れるようになりました。
発症について ②の頃です。
それから少し落ち着き、現実的な問題に向き合い始めたのが発症について ③の頃です。
この時ぎりぎりのところで踏ん張ってドロップアウトせずにいられたから、現在こうして症状が落ち着いて、就活も滞りなく終わることができたと思います。
自暴自棄になって、クサクサした生活を送っていても何も言わずに見守ってくれた周囲の方々のおかげだと思います。
頑張っても良い結果が出るかはわからないけど、何もやらなければ良くないことになるのは必至という状況で、毎日地道に頑張るのは本当に疲れてしまいますよね。
以上、約3年間のことを整理してみました。
また思い出したことがあれば記事にしたいと思います。
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発症について ③
前回の続きです。
統合失調症らしき悩みが顕在化した頃のことを書きました。
それから少し経った頃のメモを引用してみます。
「こんな姿を知り合いに晒すことになるかと思うと死にたくなる。Yさんと六本木のRで会う。必死に取り繕ったハリボテのような会話を頑張るが失敗した。Yさんにもっと太ってもいいと長々言われてごはんを吐きそうになる。毎日過食が続いて終わりがみえない。まともな約束事を全部破って何が何だかよく分からない日々を過ごしている。」
このメモから、当時過食をかなりの頻度で行っていて、それに悩まされていることがわかります。
私は嘔吐を伴わないタイプだったので、ほとんどのカロリーを吸収するのか急激に体重が増加しました。
体重が増加していくにつれて、こだわっていた「体型」を失い、自信を喪失しました。
それが精神状態の悪化を招き、食べ物が喉を通る一瞬の快楽を求め、さらに大量の過食をするという悪循環に陥りました。
「まともな約束事を全部破って何が何だかよく分からない日々を過ごしている。」
この一文が表しているのは、主に奨学金の乱費です。
なんだか摂食障害の体験記のようになってしまいました。
もう少し経った頃のメモです。
「頭がどんどん衰えていくのがとても怖い。感情を間違える、語彙力がなくなっていく、思考力が落ちていく。私の将来に何が一体あるといえるんだろう。死んで終わりなら私は早く死にたい。この間は死にきれなくて、やっぱだめ 何も言わず見逃して下さい 許して下さい言わんとすることはわかる 勘弁して下さい」
このメモからは、攻撃性や他害衝動が収まりつつあることがわかります。
自罰的な思考に変化してきた頃だと思われます。
私の家庭は貧しいため、ジェットコースターのような毎日が少し落ち着いた頃から、実家の生活の苦しさに自然と目がいくようになりました。
奨学金の乱費という紛れもない負の事実が私にのしかかり、それが自業自得の行動であったことから逃げ場は一切なく、深く後悔&反省しました。
ただでさえ苦しい家計は、統合失調症発症による成績悪化で授業料全免でなくなった私の授業料に逼迫されることとなりました。
奨学金を残していればと悔やみますが、後の祭りです。
また大学復学や卒業のこと、就職のことなどが頭によぎり、「社会に出たくない」、「社会に出てやっていける自信がない」という不安感から希死念慮が強まっています。
こうした現実の問題に向き合おうとする段階では、とても繊細で不安定な精神状態になる場合が多いのではないでしょうか。
少なくとも私は、大学卒業や就職ということを考えずにはいられなくて、常に不安で憂鬱でした。
健常者の友人や先輩と自分を比較して、自分が遅れをとっていることを強く感じて、将来を悲観しました。
勿論、一見健常者に見える方にも様々な事情や困難がある上に、勝手に将来を悲観してそれでいて何もしないというのは有意義とはいえません。
しかし当時の私は焦燥感と将来への悲観に支配され、また奨学金の件で自責の念にかられ、「もう死んだほうがマシ」と考えていました。
続きます。
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発症について ②
前回の続きです。
心理検査の結果、統合失調症と診断され、あまり実感のないまま通院を開始しました。
その頃書き留めていたメモを引用して、当時の状況を振り返ってみたいと思います。
まずは血液検査の結果です。
「拒食期とは違う値、中性脂肪、コレステロール、アミラーゼなどが悪いようだった。中性脂肪は、基準値上限の1.75倍。これ以上高くなったり、低くならなかったりしたら薬を飲む必要があるとのことだった。膵臓が良くないようだった。」
このメモからも明らかなように、この頃は過食に悩まされていました。
拒食が強かったうちは、主治医の先生からは主に電解質バランスを崩さないように毎回注意されていました。
この頃は低カリウムを指摘されていないようなので、電解質バランスの問題は過食によって解消されていたのだと思います。
中性脂肪が高いのは、脂肪分や糖類が多量に含まれるものばかり選んで過食していたためだと思います。
話が脱線しますが、拒食を続けていると当然適切な食事は摂取できないわけですから、ミネラルが不足します。
そのため体内の電解質バランスが崩れる場合が多いようです。
よく先生は、「体内の電解質バランスが保たれていないと、心室細動の危険性が高まる。拒食の患者さんは、入院になるほどには痩せていなくても、昨日まで元気に動いていても、突然ポッと亡くなることがあるんだよね。」と仰っていました。
(ただこのように聞いたことがあるだけで、正しい機序は全く知りません。)
拒食をしていて、痙攣が足のつま先から次第にお腹まで上がってきたり、心臓が数秒止まった感じがして苦しくなったり、そんなことがおありだと思います。
「もしかしていよいよ死ぬのかな?」という気持ちになりますよね。
それは電解質バランスが崩れていて、身体が悲鳴をあげているのかもしれません。
ナトリウムやカリウムの値には十分注意する必要があると思います。
それではメモの引用を続けます。
「唐突に叫ぶ、泣き出す、幼児退行する。目眩。頭がぐちゃぐちゃに掻き回される。身体の中に勝手に色んなものが飛び込んでくる。口が無限に広がっていって元に戻らない。嘲笑、噂話。殺意を感じる。窓の外や部屋のすみに黒いもや、夜中に起きると天井に大きい黒い蟻や蜘蛛がいて目が合う。曲がりたくもない道で曲がらされる。トイレにいけない。」
この頃になると被害妄想が強くなっているようです。
「唐突に」とあるように、脈絡なく叫んだり泣いたりしていると自覚していることが伺えます。
またあえてこのようなメモを残しているということは、妄想や幻聴、幻視であることに気がついていた部分もあるのだと思います。
全くの現実ではないと気づきながらも、実際に聞こえるし見えるしということで、混乱していたと思います。
メモにはありませんが、次のような悩みもありました。
・聞いた音が立体的な文字になって頭に入ってくる。しばらく消えずに頭の中を回っている。
・部屋を移動するたびに、夢で殺した男の子の声がする。
・背後から刺されて殺されるので外に出られない。
実に統合失調症らしい悩みだと思います。らしいというのもなんですが……
私が不思議に思うのは、天井にいた虫がなぜ蛾やゴキブリではなかったのだろうということです。
私は蟻と蜘蛛よりも、蛾やゴキブリの方が怖いです。
なので「嫌なもの、怖いもの」が天井に見えるならば、蛾やゴキブリである方が自然だと思うのです。
勿論、最近はこのような幻視はありません。
続きます。
──
発症について ①
私が統合失調症と診断されたのは、大学2年生の頃でした。
初め、主治医となる先生は、私を統合失調症だとは思っていなかったようでした。
「顔つきに統合失調症特有の強張りがないね。」というようなことを仰いました。
今思えば、プレコックス感のことだと思います。
そのため私自身も、付き添いに来ていた保護者も、統合失調症ではないんだと思いました。
しかし数種類の心理検査を受け、その結果や点数が明らかになると、先生は「典型的な統合失調症だね。」と仰いました。
検査を受ける前と打って変わって、深刻な表情でこちらを見るので、私も一気に緊張しました。
実はこうしてはっきり診断されるより前にも、統合失調症の疑いをもたれたことがありました。
それは摂食障害で体重が減少し、精神科にかかった時でした。
身内に統合失調症がいることから、遺伝により統合失調症が発症するところなのではないかと指摘されたのです。
統合失調症の前駆症状として、拒食はよくあると説明していただきました。
そして何であったか思い出せませんが、薬を処方されました。
私は精神科で処方される類いの薬に抵抗感があり、結局飲むことも再来することもありませんでした。
話を戻します。
その頃、私に自覚はありませんでした。
自分はそんな大それた病気なんだろうかと疑問に思っていました。
ストーカーがいるとか、誰もいないのに悪口を言われるとか、そういった症状がなかったのです。
「統合失調症」という病名を聞いて思い浮かぶのは、被害妄想や幻聴といった陽性症状ではないでしょうか?
少なくとも当時の私はそうでした。
したがって、「統合失調症らしくないのに。診断は正しいんだろうか?」と思ったのです。
いまいち釈然としないまま、通院しました。
通院を拒否すると、「治療に非協力的」の烙印を押されてしまうと考えたからです。
治療に協力的な態度を見せなければ、主治医の先生と保護者からの信頼を失います。
「症状が強すぎて、コミュニケーションが適切にとれない」
「症状が強すぎて、認知が歪んでいる」
このように思われてしまえば、私自身が何か意見したい時に取り合ってもらえなくなると考えました。
続きます。
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2018/06/08
このブログは統合失調症の当事者が日常のことや症状について書くブログです。
まず現在の状態は以下の通りです。
年齢:20代半ば
身分:大学生(留年生)
病名:統合失調症
入院歴:なし(ODによる3泊の入院はあり)
手帳:取得済み
病識:ややあり
単位はまだ残っていますが、健常の方と同様の一般枠で2019卒として就活し、6月になんとか終えることができました。
したがって当面は就活に関する投稿も多くなると思います。
就職先は決まったものの、実際に毎朝起きて通勤できるのかは不安に感じています。
障害者枠ではなく一般枠で就活を終えたということは、傍から見たら病気っぽくないの? と不思議に思われるかもしれません。
あくまで主観的な評価になってしまいますが、私は「病気っぽくない」方だと思います。
大学でも私の病気を知っているのは、休学と復学の際に診断書等の書類を処理した事務職員の方と、指導教員の先生のみです。
同じ学科の友人、サークルの友人、研究室の友人は、私の病気を知りません。
彼らの態度は他の学生と接する場合と何ら違いはないため、隠すことができていると考えています。
病気を悟られず大学生活を楽しむには、外見に気を遣ったりまともな言動を心がけたり、色々と大切なことはあると思いますが……
私が一番効果を感じたのは、「調子が悪い時は大学に行かない」です。
傍から見て病気っぽい感じにしかならない日は、大学を休みます。
その分、普段は出席日数を稼がなければならないという大変さはありますが、思い切って休んでしまった方が調子も早く元に戻ると思います。
出席が許すなら、かかりつけの病院で安定剤を点滴してもらって、心身を休めた方がいいです。
無論このやり方は多くの単位を失うこともありますが、もし無理をしすぎて、とても悪くなってしまったら……
立て直すには、休学して年単位で取り組むことになります。
それよりはマシであると私は考えています。
これからマイペースに記事を投稿していきます。
よろしくお願いします。
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