統合失調症当事者のブログ

統合失調症と診断された20代女のブログです。

「怒りを伝える」という言葉を悪用した話

摂食障害で悩んでいた頃に、「本当の自分に気づく」「過去の怒りを伝える」といった治療方法をよく見かけました。

統合失調症の被害妄想や幻聴などの症状を自覚する頃には自然と関心が薄れていったのですが、昔こうした治療に心を奪われたことがあります。

その当時、私は昼も夜もなく摂食障害の患者さんのブログを延々と見て回っていました。

私はとうとう最後まで見ているだけでしたが、一種独特のコミュニティが形成されていました。

長年患っていらっしゃる患者さんや、自らの克服体験記を発表されて悩み相談を受け付けていらっしゃる元患者さんはその界隈での有名人になっていました。

(あくまで私がそう感じていたということです。)

そうした有名なブログから、最近できたばかりのブログまで、全ての記事を虱潰しに見ていったり毎時間訪問したりしていました。

 

「本当の自分に気づく」「過去の怒りを伝える」

摂食障害を「克服した」「治った」という趣旨のブログで、これらの言葉をよく見かけました。

また、書店で購入した&してもらった摂食障害の治療のための本にも、同じような文言はよく見かけました。

私はこの言葉、治療方法に傾倒しました。

その結果、いまだに「あの時かなりやばかったな〜」と時折思い出しては悲しくなることをしてしまいました。

なぜこのようなことになってしまったのか? それは私の解釈に問題がありました。

この治療方法がよくないのではなく、私が悪用してしまったのです。

私はこの治療方法を次のように解釈していました。

自分が感じたことは全て母親にいうべきなんだ。酷い表現になったとしてもそのままぶつけるべきなんだ。ここで少しでも飲み込んでしまったら回復の道はない。母親がどんなに傷つこうともやるべきなんだ。母親の心情をおもいやってはならない。記憶にある限り、どんなに昔の些細なことであっても全て拾い上げ、逐一母親の責任にして責めるべきなんだ。そして最終的には謝罪してもらわなければならない。

口に出せば私自身も傷つくような悪口を、思いつくままに母親に投げつけて、最終的には謝罪を要求していました。

私はこの言葉、治療を自分勝手な解釈で悪用し、憂さ晴らしをしていたのでした。

生活の面倒を全て見てもらい、苦労でますます痩せたほどの母親を犠牲にして一日中ゴロゴロしている時に、よくできたなと思います。

いうまでもなく、こうした憂さ晴らしで摂食障害が改善することはありませんでした。

統合失調症で悩まされるようになると、それに代わって何年も私の行動を支配していた摂食障害特有のこだわりは自然になくなっていきました。

私を追い立てていたエネルギーの塊はほどけるようになくなり、あれはなんだったのかという感じです。

 

摂食障害に対して試みた治療で、効果があったと実感できたものは実のところありません。

ですので、なにか治し方があるのかもわからず、これは良いとか、これは悪いとかもわかりません。

少なくとも今回書いたような、過去のことをあげつらいその人を踏みにじるような行為で、現在の精神状態が改善するということは、私の場合なかったと思います。

「本当の自分に気づく」「過去の怒りを伝える」という治療方法は、私がしたような行為を推奨するものではありません。

正しい解釈と環境のもと行えば、もしかしたらとてもよい治療になるのかもしれません。

しかし私は誤解というか悪用し、拭いされない遺恨を残す行為をしてしまいました。

当時の、なんともいえない悲しげな母親の表情はいまでも忘れられません。

苦労してごく普通に育て上げたのに、その娘にまさかこのような目にあわされるとは思わなかったでしょうね。

ふと思い出したので、記事にしてみました。

 

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